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院長ブログ
2020.03.11

あれから9年

新型コロナウイルス感染症の影響で、様々なイベントが中止、または延期されております。学校もお休みとなり、外出自体憚れるような状態になってしまいました。ちょうど9年前、あの大震災の際にも同様に自粛ムードになっていたのを思い出します。

あの日、私は手術中でした。その日はたまたま難しい手術がなく、その日最後の3件目の手術も終わりに近づいていた時でした。それまでも何回か軽い地震があったこともあり、最初はすぐにおさまるだろうと高を括っていましたが、揺れが激しくなってから手術の途中で手を止めたのでした。我々は麻酔中の患者さんを押さえることに精一杯、その場にいた看護師さんたちは腹腔鏡装置が倒れないように必死で押さえてくれていました。

麻酔中に使用する薬品を入れているキャビネットが患者さんの頭の近くにいる麻酔科の先生の傍にあるのですが、それが倒れ、薬品は散らばり、電源確保が難しいかもしれないということで、人工呼吸器から外し、麻酔科医師が手動で患者さんの呼吸を保つような事態になってしまいました。

あのような状況では、手洗いをして手術ガウンを装着している我々は、患者さんの安全のためにもその場から離れることはできず、何が起こっているのかの判断はできません。あの時は、手術室長(麻酔科教授)の指揮のもと、手術室の廊下に立った看護師さんたちに伝令を飛ばし、同時に行われていた手術の状況把握と継続か中止の判断を行っていただいたのでした。我々の手術は、麻酔薬が床に散らばったため、薬が無くなり麻酔終了まであまり時間がなかったのですが、手術も終盤であったため、完遂するように指示されました。我々はその指示に従うだけでよく、ある意味、安心して手術を終えることができたのです。

我々は患者さんと一緒にしばらくその場に待機し、当時は今ほどスマートフォンなどが発達していなかったこともあり、あの惨劇を知ったのはその日の夕方になってからで、何が起こっていたのか、よく理解できないまま立ち尽くしたのを記憶しております。

復興はまだ道半ば、あの日のことを忘れてはならないですし、忘れることはできません。今日はそんなことを考える3月11日です。